VOD新番組に収録された池田先生の指針(1999年5月の本部幹部会から)
さあ誇り高く新たな勝利へ
勇猛精進とは“たゆみなき前進の息吹” わが身を常勝の生命に鍛え上げる
ナポレオンの信念「人材に道を開け」 永遠に「人を育て」「人で勝つ」
弘安元年(1278年)の「5月1日」のことである。
日蓮大聖人は、弟子にあてて、こう言われている。
「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや」(全1390・新1999)
――たとえ、太陽と月が地に落ち、須弥山が崩れたとしても、(妙法を持った)あの女性が仏になられることは疑いない。なんと頼もしいことであろうか。なんと頼もしいことであろうか――。
「妙法を持った女性は必ず仏になる」との、大確信のお約束であられる。
また、大聖人は、ある婦人に対して、こうも仰せである。
「大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候よの中にいかにいままで御しんようの候いけるふしぎさよ、ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし」(全1479・新1973)
――大風が草をなびかし、雷が人を脅えさせるような世の中にあって、あなたが今まで、この信仰を貫いてこられたことは、なんと不思議なことでしょうか! 「根が深ければ、葉は枯れず、泉に玉があれば、水は絶えない」と言われるように、あなたのご信心の根が深く、あなたのご信心に勇気の玉があられるのでしょうか。尊いことです。尊いことです――。
大聖人は、女性信徒の「勇敢なる信心」を繰り返し称讃しておられる。
今で言えば、学会の婦人部の皆さまである。
偉大なる「創価の母の日」、本当におめでとう!
勇気で拓ける
ご存じのように、このたび「特別ナポレオン展」が、東京富士美術館(八王子市)において、盛大に開幕した(1999年4月)。
「一人の人間」が、揺るぎない信念に立つ。その時に、どこまで歴史をつくれるか、動かせるのか――。
21世紀への転換期を生きる私たちに、何らかのメッセージを送ってくれると信じる。
ナポレオンの生涯から、何を学ぶことができるか。アメリカの思想家エマソンの言葉を紹介したい。
ナポレオンが教えてくれること、それは、「勇気があれば、道はいつでも拓けるものだという教訓にほかならない」(『エマソン選集』6、酒本雅之訳、日本教文社)と、エマソンは言う。
今回、晴れの5月3日を迎えるにあたっても、わが同志の「勇気」が、21世紀の道を大きく拓いたのである。本当におめでとう!
だれもが感嘆した勝利である。日蓮大聖人直結の団体でなければ、なしえない。「奇跡」のごとき勝利である。大聖人が皆さまを最大に称讃しておられると信ずる。
エマソンは、ナポレオンを、こう論じている。
「彼の勝利は、そのまま、さらにあらたな勝利への門出であり、たとい現在の境遇が、どんなに目くるめくほど民衆の喝采を浴びていても、ほんの一瞬たりとも、自分の進むべき道を見失うことはなかった」(同前)
ナポレオンは、勝ったら「また、次だ!」と。勝利に満足せず、それで安心せず、油断もしなかった。
戦とは、そうでなければならない。一つの勝利を、さらに、次の勝利への因としていく。それが“戦上手”であり、連戦連勝につながる。
勝利の余韻に浸ると、慢心になる。これでは、次は負けである。
勝った時にこそ、さらに、次の新しい大きな展望を開く。これで、次も勝利できる。
この、たゆみなき前進の息吹――これが「勇猛精進」である。
「勇猛」の「勇」は、「勇気」。
「猛」は「智慧の限りを尽くすこと」。
「精進」の「精」は、「無雑」。純粋で、一点の混じりけもないことである。
「進」は、「間断なく進むこと」である。
勇猛精進が、“常勝の人間”をつくる。わが身を“常勝の生命”へと鍛え上げていく。
真の英雄とは
また彼の有名な言葉に、こうある。
「君の世紀の思想の先頭に立って歩いてみ給え、それらの思想は君に従い、君を支持するであろう」(『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波書店)
これから、21世紀の先頭に立つのは、どの思想か、どの勢力か――この熾烈な競争が始まっている。
この競争は何で決まるか。一切、「人材」で決まる。「人物」で決まる。
「人格」と「力」を兼ね備えた総合的な人材――「全体人間」が必要なのである。
「全体人間」の育成が、学会の目標である。
総合性こそ、信仰者の徳である。
「妙法蓮華経」には、徳も生命力も情熱も、知性も福運も哲学も、すべてが総合的に備わっているからである。
ともあれ、「人材に道を開け!」――これがナポレオンの信念であった。
「後輩を自分以上の人材に!」――これが戸田先生の遺言であった。
「人材」で勝負は決まる。
「人材」で歴史は決まる。
ゆえに学会は、徹して「人材」を育て、徹して「人材」で勝っていきたい。
戸田先生は、45年前(1954年)の5月1日付の「大白蓮華」に「巻頭言」を記されている。
――広宣流布をする人は「仏の使い」であり、「仏の仕事を行う者」である。その人は、ナポレオン、アレキサンダーなどより、いく十億倍も優れている、と――。
妙法を弘め、学会活動に活躍する人こそ真の英雄である。いちばん尊い人である。
日蓮大聖人は、「撰時抄」に仰せである。
「法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし」(全291・新209)
――法華経を、その教えのとおりに持つ人は、梵天にも優れ、帝釈をも超えているのである。修羅を従えるので須弥山をも、かつげる。竜を使いこなして大海をも汲みほせる――。
さまざまに拝することができるが、妙法を如説修行する人は、修羅界や畜生界の存在をも自由自在に使いながら、広宣流布の大偉業を成し遂げていける、との仰せとも拝せよう。
総じては、そういう「偉大な人間指導者」の集いが、創価学会なのである。
学会が強くなることが、21世紀の「希望」を強め、「平和」を強めていく。こういう確信で、誇り高く、雄々しく、「5月3日」を期して、また新たに前進を開始しましょう!
皆さま方のご健康とご長寿、大福運の人生を、私は一生懸命、祈っております。一生涯、祈ってまいります。
きょうは長時間、本当にありがとう!
【名字の言】令和5年5月23日
もし、この仕事をしていなかったら?――かつて志村けん
さんが語ったこと
俳優の柄本明さんが、テレビ番組で、在りし日の志村けんさんの忘れ難いエピソードを紹介した。ある取材で志村さんが質問を受けた。「この仕事をやっていなかったら、何をやっていると思いますか」。志村さんは「そんな根性じゃやってません」と答えたという
かたくなな態度にも思えるが、仕事に対する自負や覚悟の深さだろう。処世のために、状況に応じた対応は必要だ。しかし“自分にはこれしかない”という信念が、偉大な人生を開くものである
ある壮年部員は腕の立つ旋盤工だったが、親会社の経営悪化のあおりで会社が閉鎖。やりがいある仕事を失った。やむなく別の仕事に就くが、いずれも長続きしない。心は折れ、一時は学会活動からも遠ざかった。そんな中、命に及ぶ大病が判明する
彼の脳裏に池田先生の指導が浮かんだ――「生きるか死ぬか、その時に、“このために生きよう”と思えるのが『希望』だ」。祈るほどに“信心しかない! 広布のために、もう一度生き抜こう”と決意が固まった。その後、壮年は病魔を克服。好条件で旋盤工の仕事にも復帰した
人生の希望を信心に見いだした人は強い。“何のために生きるか”という不動の信念は、苦労を人生の宝に転換させる。
〈信仰体験 ターニングポイント〉 スクールソーシャルワーカー ――誰かの“居場所”になる
「私はあなたの味方だよ」
「いらっしゃいませ」。県内の携帯ショップ。イベント販売員として、後藤早李奈は新機種の紹介や料金プランをお客に提案する。
「ありがとう」
こまごまとした話をスッキリと納得してもらえると、素直にうれしい。だが時々思う。“私は、ずっとここにいるのかな”
この仕事が嫌いなわけじゃない。成績は出ているし、人間関係だって良好だ。でも、何か物足りない。
モヤモヤはだんだん不安になり、焦りに変わった。
楽しいことが好き――思い切ってイベント運営の会社に転職してみた。でも、なんか違う。お客がときめく瞬間をつくろう――今度は広告代理店に入った。やっぱり違う。
複数の案件を同時にこなす上に、不規則な勤務体系で帰りはほぼ毎日深夜。疲れてベッドに倒れ込み、重いまぶたの間からスマホの画面をのぞき込む。すると、同級生の充実した投稿がSNSに並んでいた。
すぐに画面を消した。
劣等感が湧いてくる。中途半端な自分が嫌になる。“何やってんだろ、私……”。将来を語り合ったり、笑い合ったりした創価大学での日々が、早李奈の脳裏に浮かんだ。
「何があっても、信心と池田先生から離れたらダメだよ」
それは学生時代にお世話になった、女子部(当時)の先輩の言葉だった。人間関係に悩んだ早李奈を、ずっと励まし続けてくれた人。“誰かの役に立ちたい”という目標をくれた人。それは上京する前、母からよく言われた言葉でもあった。
気が付けば忙しさにのみこまれて、会合からも、御本尊からも遠ざかっていた。
先輩たちと過ごした時のような温かい気持ちを取り戻したくて、早李奈はお題目を唱え始めた。祈りを重ねながら、信心の原点と思えた出来事を思い起こした。
*
部屋で一人、ふさぎ込む中学1年の早李奈。ずっと仲の良かったクラスメートから、ある日を境に無視されるようになった。“なんで……”。誰のことも信じられなくなり、学校に行けなくなった。
「これ、読んでみて」。そんな早李奈に、母が手渡してくれたのは池田先生の『希望対話』。ページをめくると、いじめについて触れられていた。
〈いじめられていることは、何も恥ずかしいことじゃない〉。目が引き込まれる。〈永遠に続く「夜」はないのです〉。自分に話しかけられているみたい。一言一言を、夢中になって読み進めた。
〈だれよりも苦しんだ君は、だれよりも人の心がわかる君なんです。だれよりもつらい思いをしたあなたは、だれよりも人の優しさに敏感なあなたのはずです。そういう人こそが、二十一世紀に必要なんです!〉
先生と会ったことなんてない。それでも言葉の端々から、隣で寄り添ってくれているような気がして、胸が温かくなった。
“もっと先生を知りたい”。早李奈は創価大学を目指した。
夢だったキャンパスライフでも、たくさんの悩みに直面した。そのたびに味方になってくれた先輩の笑顔が、早李奈の支えだった。
悩む誰かの助けになる。それが“師匠”に誓った決意であり、生き方だった。
会合や家庭訪問に再び参加し、同志の思いに触れる。それぞれの場所で悩みながらも、負けずに踏ん張っていた――早李奈は決めた。“社会福祉士を目指す”。専門学校に入り直した。
学校で問題や悩みを抱えている子どもたちのフォローを行う、スクールソーシャルワーカーの存在を知った。
今があるのも、悩んでいた時に味方になってくれた人がいたから。“その人”に、今度は自分がなろうと早李奈は思った。初回の受験で国家試験をパス。社会福祉士の一歩を踏み出した。
*
「子どもが学校へ行きたくないと言っていて……」
「役所に提出する書類の準備を手伝ってほしい」
一昨年から、福岡市内の学区を中心に仕事に当たっている。
早李奈の携帯には連日、“SOS”が。子どもや保護者との面談、教職員へのサポートなど、必要があればすぐに駆けつける。ソーシャルワーカーは“調整役”。問題解決のために、時には役所や福祉・医療機関と連携することも。
子どもたちの悩みには、本人の気持ちや周囲の大人の接し方、地域の環境など、いろんな要因が絡んでいる。だから問題に関わる一人一人の声を丁寧に、粘り強く聞くことが欠かせない。
子どもの数だけ家族があって、家族の数だけ、それぞれの幸せの形がある。簡単じゃない。未熟さを感じて、落ち込むこともある。
ただ、学校に行けなかった自分を振り返る時、何より安心できたのは、分かってくれる人がいると思えたから。だから早李奈は、どんな子どもにもハッキリと伝えた。
「私はいつも、あなたの味方だよ」
自分の言葉一つで、相手をどこまで支えられているかは分からない。でも、がむしゃらに仕事と向き合う中で、宝物のような言葉との出あいがある。
「先生ありがとう」
「子どもが学校に行けるようになりました」
それが、早李奈を明日へ突き動かしてくれる。
自分一人でできることは、限られているのかもしれない。
ただ隣に誰かがいてくれることで、もう一回、立ち上がれることだってある。周りに頼れない時に、寄りかかれる“居場所”でありたい。「そのための私(=ソーシャルワーカー)だと思うから」(九州支社)
【名字の言】 令和5年5月22日
「葉書」の語源になった木
「コロナウイルスがなくなりますように」「家族みんなが健康でいますように」……。細長い全長20センチぐらいの葉に、願いを託した文字が書かれていた
タラヨウの木の葉。この葉の裏側に爪や先のとがった物で文字を書くと、その跡が黒く変色して残る。古くから通信に使われ、現在も定形外の切手を貼れば、郵便物として送ることができる。「葉書」の語源ともいわれていると聞いて納得した
先日、男子部時代の後輩が「私の人生の骨格となった、聖教新聞の記事があります」と教えてくれた。広宣流布に生き抜いたミンダナオ島の“創価の母”の信仰体験。「フィリピンのカンサイ(関西)」と呼ばれる同島の基盤を築いた“一粒種”のドラマで、25年前の掲載記事だった
この話を聞いた先輩は「25年前のあの手紙は忘れない」と後輩に語り始めた。出張から帰宅するとドアポストに手紙が。先の信仰体験に触発された後輩からで、“共戦の思いで行動し、仏法対話が実りました”と。二人は、四半世紀がたっても消えない「心の財」を初めて披露し合った
タラヨウの葉に書かれた文字は、葉が枯れても残る。わが胸中に「心の財」と光り続ける「今生人界の思い出」(新519・全467)を重ねたい。
〈大慈悲の心音 門下への便り〉 妙密上人③
御文
金はやけばいよいよ色まさり、剣はとげばいよいよ利くなる。法華経の功徳は、ほむればいよいよ功徳まさる。二十八品は正しきことはわずかなり、讃むる言こそ多く候えと思しめすべし。(同、新1713・全1241)
通解
金は、焼けばいよいよ色が良くなり、剣は、研げばいよいよ良く切れるようになる。(同じように)法華経の功徳を讃えるなら、ますます功徳が勝っていく。(法華経)28品は、法理の真髄を説くところは、わずかであるが、讃える言葉こそ多くあることを、心得ていきなさい。
法華経は、たたえる言葉にあふれている――。日蓮大聖人は、そう示されました。法華経は「南無妙法蓮華経の偉大さをたたえる経典」なのです。
仏が妙法をたたえるように、仏法の偉大さをたたえていけば、功徳が勝っていくのです。
私たちの立場から言えば、仏法対話を通して、自身が感じた信仰の歓喜、具体的な体験を語っていくことが大切です。その実践に、福徳が輝いていくのです。
大聖人は、「たたえる人」「励ましの人」であられました。御書をひもとけば、病気や仕事、家庭の悩みを抱える門下に寄り添い、広布に尽くす信心を、全精魂を込めて賛嘆されています。
池田先生は語られています。
「迷える心に勇気の一歩を踏み出させる力は、真心の励ましである。励ましが勇気を生む。ここに、創価の世界の限りなき勇気の連鎖がある」
私たちも、友を思う温かな声、信仰の喜びあふれる確信の声、真実を叫ぶ正義の声を届け、地域へ社会へ、広布の輪を広げていきましょう。
〈大慈悲の心音 門下への便り〉 妙密上人② 令和5年5月22日
御文
須弥山の始めを尋ぬれば一塵なり。大海の初めは一露なり。一を重ぬれば二となり、二を重ぬれば三、乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は、ただ一なるべし。
(妙密上人御消息、新1706・全1237)
通解
須弥山の始めを尋ねれば、一つの塵である。大海の初めは一滴の露である。
一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、十・百・千・万・億・阿僧祇となっても、その母は、ただ一なのである。
いかなる時代も、一人立つ勇者が、広宣流布と立正安国の突破口を開きます。
日蓮大聖人は、最高・最大のものを象徴する須弥山や大海も「一つの塵」「一滴の露」から全ては始まることを示し、「阿僧祇の母は、ただ一なるべし」と仰せです。
同様に、末法の広宣流布も、日蓮大聖人がただ一人、立ち上がったことから始まったと仰せです。
妙密上人へのお手紙が認められたのは、建治2年(1276年)のこと。当時は再度の蒙古襲来が危惧され、人々は悲嘆に暮れていました。その頃、妙密上人夫妻は、信仰を理由に何らかの圧迫を受けていたのかもしれません。そのような中で、夫妻は力を合わせ、不安を打ち破るように、信仰に励んでいたと考えられます。
お手紙の中で大聖人は、「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」(新1711・全1241)と、必ず広宣流布は成就しゆくことを訴えられました。大聖人の御確信あふれるお手紙を手に取り、夫妻で広布への使命感を燃え上がらせる姿が目に浮かぶようです。
池田先生は本抄を通して、こうつづっています。
「全ては、一人から始まる。一人を激励し、育てる。一人と対話し、仏縁を結ぶ。地道にして粘り強い、この執念の積み重ねこそが、創価の大勝利山を築き、広布の大海原を開くのだ」