おっさんの徒然日記

聖教新聞に掲載された記事を紹介するブログです。

〈大慈悲の心音 門下への便り〉 妙密上人② 令和5年5月22日

聖教新聞 2023/05/22付け

御文
 須弥山の始めを尋ぬれば一塵なり。大海の初めは一露なり。一を重ぬれば二となり、二を重ぬれば三、乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は、ただ一なるべし。
 (妙密上人御消息、新1706・全1237)

通解
 須弥山の始めを尋ねれば、一つの塵である。大海の初めは一滴の露である。
 一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、十・百・千・万・億・阿僧祇となっても、その母は、ただ一なのである。

 いかなる時代も、一人立つ勇者が、広宣流布と立正安国の突破口を開きます。
 日蓮大聖人は、最高・最大のものを象徴する須弥山や大海も「一つの塵」「一滴の露」から全ては始まることを示し、「阿僧祇の母は、ただ一なるべし」と仰せです。
 同様に、末法広宣流布も、日蓮大聖人がただ一人、立ち上がったことから始まったと仰せです。
 妙密上人へのお手紙が認められたのは、建治2年(1276年)のこと。当時は再度の蒙古襲来が危惧され、人々は悲嘆に暮れていました。その頃、妙密上人夫妻は、信仰を理由に何らかの圧迫を受けていたのかもしれません。そのような中で、夫妻は力を合わせ、不安を打ち破るように、信仰に励んでいたと考えられます。
 お手紙の中で大聖人は、「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」(新1711・全1241)と、必ず広宣流布は成就しゆくことを訴えられました。大聖人の御確信あふれるお手紙を手に取り、夫妻で広布への使命感を燃え上がらせる姿が目に浮かぶようです。
 池田先生は本抄を通して、こうつづっています。
 「全ては、一人から始まる。一人を激励し、育てる。一人と対話し、仏縁を結ぶ。地道にして粘り強い、この執念の積み重ねこそが、創価の大勝利山を築き、広布の大海原を開くのだ」