〈信仰体験 ターニングポイント〉 スクールソーシャルワーカー ――誰かの“居場所”になる
「私はあなたの味方だよ」
「いらっしゃいませ」。県内の携帯ショップ。イベント販売員として、後藤早李奈は新機種の紹介や料金プランをお客に提案する。
「ありがとう」
こまごまとした話をスッキリと納得してもらえると、素直にうれしい。だが時々思う。“私は、ずっとここにいるのかな”
この仕事が嫌いなわけじゃない。成績は出ているし、人間関係だって良好だ。でも、何か物足りない。
モヤモヤはだんだん不安になり、焦りに変わった。
楽しいことが好き――思い切ってイベント運営の会社に転職してみた。でも、なんか違う。お客がときめく瞬間をつくろう――今度は広告代理店に入った。やっぱり違う。
複数の案件を同時にこなす上に、不規則な勤務体系で帰りはほぼ毎日深夜。疲れてベッドに倒れ込み、重いまぶたの間からスマホの画面をのぞき込む。すると、同級生の充実した投稿がSNSに並んでいた。
すぐに画面を消した。
劣等感が湧いてくる。中途半端な自分が嫌になる。“何やってんだろ、私……”。将来を語り合ったり、笑い合ったりした創価大学での日々が、早李奈の脳裏に浮かんだ。
「何があっても、信心と池田先生から離れたらダメだよ」
それは学生時代にお世話になった、女子部(当時)の先輩の言葉だった。人間関係に悩んだ早李奈を、ずっと励まし続けてくれた人。“誰かの役に立ちたい”という目標をくれた人。それは上京する前、母からよく言われた言葉でもあった。
気が付けば忙しさにのみこまれて、会合からも、御本尊からも遠ざかっていた。
先輩たちと過ごした時のような温かい気持ちを取り戻したくて、早李奈はお題目を唱え始めた。祈りを重ねながら、信心の原点と思えた出来事を思い起こした。
*
部屋で一人、ふさぎ込む中学1年の早李奈。ずっと仲の良かったクラスメートから、ある日を境に無視されるようになった。“なんで……”。誰のことも信じられなくなり、学校に行けなくなった。
「これ、読んでみて」。そんな早李奈に、母が手渡してくれたのは池田先生の『希望対話』。ページをめくると、いじめについて触れられていた。
〈いじめられていることは、何も恥ずかしいことじゃない〉。目が引き込まれる。〈永遠に続く「夜」はないのです〉。自分に話しかけられているみたい。一言一言を、夢中になって読み進めた。
〈だれよりも苦しんだ君は、だれよりも人の心がわかる君なんです。だれよりもつらい思いをしたあなたは、だれよりも人の優しさに敏感なあなたのはずです。そういう人こそが、二十一世紀に必要なんです!〉
先生と会ったことなんてない。それでも言葉の端々から、隣で寄り添ってくれているような気がして、胸が温かくなった。
“もっと先生を知りたい”。早李奈は創価大学を目指した。
夢だったキャンパスライフでも、たくさんの悩みに直面した。そのたびに味方になってくれた先輩の笑顔が、早李奈の支えだった。
悩む誰かの助けになる。それが“師匠”に誓った決意であり、生き方だった。
会合や家庭訪問に再び参加し、同志の思いに触れる。それぞれの場所で悩みながらも、負けずに踏ん張っていた――早李奈は決めた。“社会福祉士を目指す”。専門学校に入り直した。
学校で問題や悩みを抱えている子どもたちのフォローを行う、スクールソーシャルワーカーの存在を知った。
今があるのも、悩んでいた時に味方になってくれた人がいたから。“その人”に、今度は自分がなろうと早李奈は思った。初回の受験で国家試験をパス。社会福祉士の一歩を踏み出した。
*
「子どもが学校へ行きたくないと言っていて……」
「役所に提出する書類の準備を手伝ってほしい」
一昨年から、福岡市内の学区を中心に仕事に当たっている。
早李奈の携帯には連日、“SOS”が。子どもや保護者との面談、教職員へのサポートなど、必要があればすぐに駆けつける。ソーシャルワーカーは“調整役”。問題解決のために、時には役所や福祉・医療機関と連携することも。
子どもたちの悩みには、本人の気持ちや周囲の大人の接し方、地域の環境など、いろんな要因が絡んでいる。だから問題に関わる一人一人の声を丁寧に、粘り強く聞くことが欠かせない。
子どもの数だけ家族があって、家族の数だけ、それぞれの幸せの形がある。簡単じゃない。未熟さを感じて、落ち込むこともある。
ただ、学校に行けなかった自分を振り返る時、何より安心できたのは、分かってくれる人がいると思えたから。だから早李奈は、どんな子どもにもハッキリと伝えた。
「私はいつも、あなたの味方だよ」
自分の言葉一つで、相手をどこまで支えられているかは分からない。でも、がむしゃらに仕事と向き合う中で、宝物のような言葉との出あいがある。
「先生ありがとう」
「子どもが学校に行けるようになりました」
それが、早李奈を明日へ突き動かしてくれる。
自分一人でできることは、限られているのかもしれない。
ただ隣に誰かがいてくれることで、もう一回、立ち上がれることだってある。周りに頼れない時に、寄りかかれる“居場所”でありたい。「そのための私(=ソーシャルワーカー)だと思うから」(九州支社)